コンピューターのかたち

大学に入って初めて自分のコンピューターを手にした。
SONY の VAIO DUO 11 というモデルだった。
Windows 8 に合わせて登場した、当時"ハイブリッドPC"などと呼ばれていた 2 in 1。
2つのモードを素早く行き来できる"サーフスライダー"という機構がついていて、VAIO として初めてデジタイザーに対応していた。
大学でどのような使い方をするのかわからなかったこともあり、SSDの容量以外はいわゆる全部入りの構成で、とても快適に動いた。
唯一バッテリー持続時間だけは不満だったが、本体の剛性は素晴らしかったし、アナログRGBや有線LANまで備わったインターフェースも絶妙で、4年生になっても新たに欲しい製品がないほどだった。
が、すべて過去形で書いているように、問題が生じてしまった。
始まりはタッチパネルの不具合で、ACアダプターを接続しているとセンサーが誤動作するようになった。
これは結局あきらめて、タッチパネルを無効にして使っていたが、さらにファンが高速回転し、筐体が非常に熱くなるようになってしまった。
そしてついに、大学院に入って少しして新たなモデルに買い替えた。
ThinkPad X1 Carbon。
実用性の塊のような、質実剛健なクラムシェルモバイルノートである。

なぜ 2 in 1 からクラムシェルに"回帰"したのか。
もちろん価格の問題はとても大きいのだけれど(国内メーカーの、さらに 2 in 1 は高価すぎる)、他にも理由があったので書いておこうと思う。
などといっても基本的な考えは単純で、"コンピューターにはキーボードが必須"ということに気がついたというだけだ。

今のところ、何かを生産する際には、圧倒的に視覚に頼っている。
コンピューターは目で見て操作することが前提で、視覚的なフィードバックを常に受けながら作業する。
この場合、理想的な状態は"入力と出力のパスを分離すること"だ。
それぞれが同じパスを持っていると、切り替えのスイッチングが必要になってしまい、そこに時間的なロス、意識的な分断が発生する。
では、視覚的な出力を見逃さないためには、どうすればいいか。
視覚に頼らない入力を実現すればいい。
言わずもがな、それはキーボードである。
こうして、出力のためのディスプレイと、入力のためのキーボードからなるコンピューターのフォームファクターが長く続くことになったのだと思う。
またこれをひとつの筐体にまとめたのが、クラムシェル型のコンピューターということになる。
デバイスとしても、出力部と入力部が 1:1 の面積比で、対称的に構成されたクラムシェルは非常に合理的であった。

さて、2 in 1 は、この確立されたコンピューターの操作体系にアナログ的な操作体系を後づけしようというものだ。
つまり紙とペンをコンピューターに取り込もうとしているのだが、こうすると、先ほどの出力と入力の均整が崩れてしまう。
ペンの操作では、入力も出力もディスプレイが担うことになる。
そういうデバイスはそれはそれでいいのだが、従来のコンピューターと同じ筐体に組み込むとなると、役割の関係が 1:1 でなくなってしまって、どうしても違和感がぬぐえない。
VAIO を使っていて、こう感じた。
この文章は X1 Carbon で書いているが、操作感はすこぶるいい。
製品自体も、基本的で本質的な機能が丁寧に作りこんであり、それによるところも大きいが、やはりクラムシェルの操作体系が本質的に優れていることがその土俵にあると思う。

余談だが、ThinkPadはやはりすごい。
世界最軽量でも最薄でもなく、最高性能でもないけれど、だからこそ捨てずに済むものがあるならそこをきちんと天秤にかける、という姿勢がないとこういうものは作れないと思う。
今まで中途半端にしかできなかったタッチタイプも、ThinkPadなら無理なくできるし、トラックポイントと高精度タッチパッドで、マウスは完全に不要になった。
いずれもスペックには表れない部分だ。
ちなみに VAIO も、特に独立してから同じような考え方で製品を作るようになっている気がする。
VAIO Z の筐体剛性などは笑ってしまうほど高くて、数字で自慢できない部分に力が入っていることが触れた瞬間にわかる。
本質的な機能がしっかりした製品は、設計のひとつ一つの説得力が違う。


最後に。
極端な話、コンピューターの形は、MR(Mixed Reality, 複合現実)が成熟するまでは変わらないのではないかと個人的には思っている。
この考え方もけっこう面白い(たぶん)のだけど、これはまたの機会に。